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本田由紀著『教育は何を評価してきたのか』を基に「能力」評価の落とす影について考える

1 はじめに

本記事は、教育をめぐる様々なテーマについて、興味を持ち学んでいる学生の目線で論じる企画【Review as Student】の第2弾です。第2回となる今回取り上げるテーマは「能力」評価です。
 「学校教育の目的は何か」という問いの端的な答えの一つとして、「子どもたちの能力を伸ばすこと」が挙げられるでしょう。言い換えれば、「能力が高いこと」は学校における望ましさの尺度の一つであると言えるでしょう。これは至極当たり前のことのように思われるかもしれません。しかし、本田由紀著(2020)『教育は何を評価してきたのか』はここに疑問を投げかけます。果たしてどのような点が問題なのでしょうか。詳しく見ていきましょう。

シリーズ【Review as Student】とは

教育に関わる様々なテーマについて、専門にしている学生や興味を持って学んでいる学生が、書籍や資料の内容を土台に論じる企画です。ベースにする書籍や資料の論点をとりあげながら、それに対して学んでいる学生の目線で評論を加えていく形になっています。理論的な議論に終始するのではなく、教育現場で働く方々や、これから教育に携わっていく方々が、それぞれのテーマについて具体的に何ができるか、という点にも踏み込んで議論していきます。

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2 「能力」は社会でどのように捉えられるか

近代社会の基本原理としての「メリトクラシー」

「能力主義」は、「メリトクラシー」という語の訳語としての意味が基礎になっています。「メリトクラシー」とは一般的には、生まれではなく個人の能力によって社会的地位や処遇が決められる社会という形で説明されます。近世以前の社会では、人は社会的な身分や年齢、性別といった生得的な要素によって、どのように生きるべきかが強く決められていて、この性質は「属性主義」と呼ばれます。一方、生得的な要素だけではなく、後天的な努力によっても大きく左右される「能力」によってどのように生きられるのかが変わってくるということが、近代以降の社会の基本原理とされており、この性質は「メリトクラシー」と呼ばれます。そして、後天的な努力による社会的地位の移動を可能にする一つの場所が学校というわけですね。

「能力」が指し示すもの

実は、一口に「能力」といってもそれが意味する内容はかなり幅広く、用いられる主な用法も時代によって変わってきています。本書によれば、1900年代初期の主な使われ方は「天賦の能力」、つまり生まれ持った素質のような意味でしたが、戦後は個人の努力によって身に付ける力としての意味が強くなり、そして60年代以降は教育現場での学習内容の習得度を表す「学力」に近い意味で使われることが多くなっていきます。さらに80年代以降には関心や意欲、主体性といったものまでが「学力」の枠の中で語られるようになっていきます。

このように、「能力」という言葉は、意味内容が拡大してきた経緯があり、今ではとても幅広い意味を持つ言葉になっています。そして「能力」という言葉は私たちの日常生活の中にも浸透し、個人が「抽象的な何か」をなしうる力という意味で広く使われていると言えるでしょう。

3 本書が投げかける教育における「能力」評価への疑義

「能力」評価が排除するもの

しかし本書は、この「能力」という言葉が広く浸透していることが、我々の思考を人々を序列づける方向に強く引っ張っているのではないか、と指摘します。上記のように「能力」が一般的で広い意味で使われるようになっている中では、「能力」の高低はそのまま人間そのものを序列づけることにもなりかねません。そのような言葉が学校現場や企業において用いられることはリスクが高く、特に個人が今居るところとは違う場所や環境で力を発揮するような「他の可能性」を排除する力を持っている点が問題であるといいます。

「能力」評価が弱める社会への視線

さらに本書は、日本においては「達成された事柄の公的な証明(学歴や職業資格など)」よりも「個々人の性能としての能力」を社会的評価において重視すべきであるという考え方が強いと指摘します。そして、「能力」には個人が成功したり社会的な地位を獲得したりした時に周囲が事後的に与える「称号」のような性質があると指摘します。そこで問題になるのは、「どのような人が有利になるような社会なのか」と社会を批判的に捉える視線を弱体化させてしまうところであるといいます。

4 本書が切り込む「能力」の社会的影響

本書では、具体的に「能力」という言葉がどのように人々を序列づける力を持ち、それがどのように社会に影響を与えていると考えられるのか、このような日本的な「能力主義」がどのようなプロセスで成立してきたと考えられるのか、について細かな考察、検証を行っていきます。さらに本書では、「態度」及び「資質」という言葉がもたらす、社会の中の異質性を排除するような力の存在をも指摘しています。そしてこのような「能力」をめぐる社会状況にどのように対処していくのがいいのか、についても思い切った主張が展開されています。この検証や議論の詳細な内容は是非本書を読んでご確認いただければと思います。

5 本書を読んだ感想

教育に携わる人々が無意識的に使っているであろう「能力」という言葉の性質の危険性を指摘する本書の主張は、他に類を見ない斬新なものであり非常に驚かされました。具体的な検証については、本書で本田氏自身も述べているようにより緻密な研究が必要であるという印象は拭えないものの、本書の挑戦的な仮説の提起は今後の研究に大きな影響を与えるでしょう。また、単なる知見のまとめではなく、主張のロジックとその根拠となるデータ、先行研究までを整理し盛り込んでいる点で新書の枠を出るような書籍であるともいえ、だからこそ教育社会学の面白さの一端を初学者でも感じられるようになっていると感じました。

6 教育に携わる者に何ができるか

ある状況において人が何をするか・できるかは、個人の性質と個人を取り巻く環境によって変わってくるものでしょう。人が何をするか・できるかを「能力」という言葉で表すことは、行動の責任を個人の側に負わせる力を持ちます。教育においては、個人の能力を伸ばすことはもちろん大切ですが、自分が置かれる環境を捉え、その環境を改善する方向に目線を向けられるようになることも大切です。様々な場面で「仕組み」「慣習」「制度」といった有形無形の環境について問い直す機会を作ることが、「能力」という言葉の力から抜け出す一歩になるのではないでしょうか。

また、上記の環境の改善への視点は教育者にとっても大切なものであると言えるでしょう。教育者から見て「能力がない」と思われるような子どもも、もしかしたら学校環境や教科の性質がその子の特性と合っていないのかもしれませんし、クラスメイトとの関係性が悪く集中できていないのかもしれません。教育者は科目や学校空間の論理で子どもの成長を促し評価を行うものの、その価値軸・評価軸も万能なものではない、という認識を持つことで、「能力」に縛られすぎない教育活動が行えるかもしれません。

具体的な実践や評価の場面においては、生徒が漠然と「自分にはこの『能力』がないのかも」という認識に陥るのを避けることも重要でしょう。「(何のために)何ができるようになることがここでは大切なのか」「(あなたは)ここまではできているがこういう部分は足りないのでこの評価になっている」というような形で、構成要素や文脈を具体的に提示しながら、丁寧に目標の提示や評価をめぐるコミュニケーションを取ることも「能力」という言葉に頼らない一方策となると思います。

7 より学びたい方はこちら

日本社会における能力主義の性質について深く学びたい方へ

竹内洋著(2016)『日本のメリトクラシー増補版: 構造と心性』
こちらは日本のメリトクラシーをめぐる研究の基盤となった研究書になります。初版が1995年のため用いられているデータはかなり古いものにはなりますが、本書が提供している就職と選抜に関する知見は今も有用なものも多くあります。前半の理論的な整理の質もとても高く、社会学の理論の勉強としても使える書籍です。

能力をめぐる教育の役割について深く学びたい方へ

広田照幸著(2015)『教育は何をなすべきか−能力・職業・市民』
こちらは、公教育の役割について、育成するべき能力をめぐる考え方や職業との関連、市民形成に至るまで広い論点を扱った書籍です。学校が何ができるのかについて再考したい、という方におすすめです。特に公教育の目指す方向性について本田氏と異なる立場を取っているという点でも、『教育は何を評価してきたのか』と合わせて読むことでより理解が深まると思われます。

8 本書の著者紹介

本田 由紀
1964年生まれ。東京大学大学院教育学研究科博士課程単位取得退学。日本労働研究機構研究員、東京大学社会科学研究所助教授を経て、東京大学大学院教育学研究科教授。専攻は教育社会学。
(2020年6月現在)

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本田由紀先生インタビュー(五月祭教育フォーラム2016『学校の役割を問い直そう~公教育が「商品」に!?~』)
【第2部 前半】五月祭教育フォーラム2016『学校の役割を問い直そう~公教育が「商品」に!?~』
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9 ライター紹介

新井理志
EDUPEDIA編集部編集委員。東京大学教育学研究科修士課程所属。専門は教育社会学、高等教育論。
(2020年6月現在)

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