質の高い授業を作っていくために ~ 明示知と暗黙知

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目次

1 見える「明示知」、見えにくい「暗黙知」

授業と学級経営は、学級の両輪であるといった言い方がよく使われます。この稿では、授業力とは、授業準備力と学級経営力をかけ合わせたものという言い方にしてみます。

たいていの教師はよい授業を参観すると、「自分もあんな風に授業ができたらいいのに」と、強い刺激を受けます。そして、なんとかその教師の授業に近づいてみたいものだと考えます。

ところが、たいていの教師にとって、よい授業を真似るのは簡単ではありません。その授業で使われていた手法や教師の言動を真似してみようとするのですが、どうも、自分でやってみるとうまくいかないという事が多いのです。

この辺りのことは、下の記事でも述べていますので、是非お読みください。

授業論~どうしてあの人の授業と「差」が出るのか | EDUPEDIA

もらってきた指導案の流れに沿ってやっているのに、自分のクラスではうまくいかない。もしかすると、自分のクラスの子ども達は今一つ力が足りないのではないかと疑ってみたりもします。

しかしながら、何年たっても、自分のクラスではうまくいかない。そして、優秀な教師は子ども達が変わっても、うまくいく。自分が理想とする授業像と、現実の差はなかなか埋まりません。そして、いったいこの差が何であるのかも、なかなか分かりません。

この埋まりにくい差の部分を「暗黙知」と表現し、比較的埋まりやすい差のことを「明示知」と表現して、以下、説明してみます。暗黙知は、知識としてすぐに適用できるものではありません。折に触れ、長い時間をかけて学級の中に、あるいは自分の中に積み上げていく種類の知識・知恵を暗黙知とします。

暗黙知と明示知を明確に分化する事は難しいです。学術的に定義しようとしているわけではありません。下の表に、授業参観で得られる「知」を無理やり「暗黙知」「明示知」として私のイメージで分けてみました。あくまで私のイメージに過ぎませんが、なんとなく私の言いたい事を汲んでもらえるとありがたいです。

2 授業における明示知について

例えば、授業が上手な教師が、「指名なし発言」をしていたとします。

①手を挙げて発言をするのではなく、発言したい人が立って発言する。
②もし、立つ人が多ければ、アイコンタクトで譲り合う。
③できるだけつながりのある発言をすることが原則。

などが明示知の部分でしょうか。言語化できる知識の部分です。

ところが、この明示知の部分を自分の教室に持って帰ってやってみようとしても、必ずしも見せていただいた授業の様にはなりません。うまくいかないと、「えー、先生、こんなやり方やりにくいからやめよう!」などと、子どもが言い始めます。

3 授業における暗黙知について

では、見えにくい部分はどんなところなのでしょう。
「①普段の子どもへの接し方。②子どもと子どもの人間関係をどう育ててきたか。③発言時のルールやマナーをどう作ってきたか。④大きい声で発言させることを行ってきたか。⑤本文をしっかり読み取る力を付けてきたか。⑥明示知の部分をしっかりと子どもに伝えて徹底させてきたか。」
などが指名なし発言の成功の条件として横たわっています。つまり、普段の学級経営的な部分でうまくいっていない学級での指名なし発言は難しいのです。公開された授業ではそういった暗黙知の部分が見えづらく、自分の授業に指名なし発言を取り入れる際にこうした条件が整っていないと失敗してしまいます。このように、見えにくい部分の知識を暗黙知と呼んでみます。

下の記事では、見えにくい部分について、もう少し細かく書いています。

全ての事は、メッセージ ~ 言語・非言語の授業力・学級経営力 | EDUPEDIA

言葉に表しにくい部分が大切なのです。

4 マトリックスで説明してみます

授業力をつけるには、暗黙知と明示知の両方を伸ばしていく必要があります。明示知をX軸、暗黙知をY軸にとったマトリックス図を下に示してみます。

暗黙知・明示知ともに絶対的な目盛りが打てるわけではありません。何か数値に置き換えられるようなものではありません。自分のイメージで、自分や周りの先生方を相対的に位置をとってこのマトリックス上に置いてみると面白いです。

図の2象限に位置する教師は間違いなく、よい授業ができる教師です。特にA教諭の授業は素晴らしいでしょう。

B教諭は知識が浅いので、興味深い話が出来ない上に、統率力や集中力に欠け、学級がまとまりません。D教諭は、大事な事や面白い事を上手に話しているのに、「うわ言」を言っているように聞こえてしまうタイプです。C教諭は話している内容は大したことがなくてつまらないのに、聞かせてしまう魅力を持っています。そして、A教諭は楽しい内容の話をテンポ良く、子供をひきつけながら話すことができる理想的な教師です。

1象限に位置するのは、「コミュニケーションのある新人教師」に多いでしょう。人望があり、学級全体を上手にコントロールできるリーダーシップがある教師です。あるいは人を納得させる声を持っていたり、話し方に独特の間があったりする教師かもしれません。ここに位置する教師は、あとは明示知的知識を充実させていけば、2象限へと向上して行けます。ただし、勉強をさぼったり、授業準備をきちんとしなければ、いつまでも1象限にとどまり、「単に要領のよい教師」になってしまいます。

暗黙知の+方向へ移動することは、その性質上、難しいと言えるでしょう。暗黙知は生得的なコミュニケーション能力の比率が多く、コミュニケーション能力が低い人はなかなか2象限にたどり着くことができません。コミュニケーション能力は教師の重要な資質です。3象限と4象限に位置する人は、教師としての資質に欠けていると考えられ、この先教師を勤めていくことは苦しいかもしれません。
特に問題は、3象限に位置する教師です。

3象限の授業力で、授業を続けると、子ども達の力は伸びず、授業に飽きられ、やがては学級崩壊へと陥る危険性が大きいです。マトリックス図で言うと、B教諭は最も危険な位置にいます。

5 学級崩壊に飲み込まれないために

学級崩壊の可能性は、B教諭の位置に近いほど起こりやすく、同心円状に円を描いていくとその危険度が分かりやすいです。子どもの状況によって、この同心円の半径は違っており、荒れた学級ほど同心円の半径が大きくなるとイメージして下さい。そうると、1象限や4象限に位置する教師にも、子供たちの質によっては十分に危険性があります。C教諭は知識を、D教諭はコミュニケーション力を身につけていかなければ、学級崩壊に飲み込まれる可能性が大きいです。知識だけでも、コミュニケーション能力だけでも、教師としての限界があります。

では、明示知ならばすぐに見つけることができ、誰にでも身につくのかというと、そうではありません。知っていても出来ない(前述の指名なし発言の例のように暗黙知と併せないと効果が上がらないもの)、場合もあります。知っているけどやらないない(時間的に無理・気力が追いつかなくて無理など)、場合もけっこうあります。例えば、授業で板書の中に、何かひとつ掲示物を混ぜると子供の興味をぐんとひきつけることができます。例えば、ごんぎつねで、ごんの挿絵を少し拡大するなどしてあげれば、4年生の子供はそれだけで発言へのモチベーションがあがります。そんな誰にでも分かっている「明示知」であっても、すべての教師が活用しているわけではありません。わかっていても、誠意や努力、あるいは時間的な余裕がないと実現できるわけではないからです。教室を常にきれいに保っていれば学級崩壊に陥る確率は低くなるということは、自明の理ですが、残念ながらそれができない教師は少なくありません。時間もないのでしょうし、気力が伴わないというのも実際問題として、あります。
また、知識をどのように組み合わせ、優先順位をつけて絞り込み、どのタイミングでその知識を活用していくか、といった知識の使い方に関しては経験と熟練が必要になってきます。知識の使い方は、どちらかというと暗黙知的かもしれません。

教師が順調に成長することは、けっこう難しいものがあると思います。私自身、自分が思うように成長できない事に苛立ち、苦しんでいます。しかし、どれだけ苦しくても、状況がまずくなって学級崩壊の同心円の半径が大きくなってきた時に備えて、教師はA教諭の位置へと成長していかなくてはなりません。いやいや、学級崩壊の危機がなくても、子供たちを十分に伸ばしていくには、A教諭の位置へ向かえるように、たゆまぬ努力をしながら、暗黙知・明示知の両方を身につけていくほかありません。

書籍やネット上に存在している知識は、言語化ができているわけですから、明示知と言そうですが、例えば、

授業運営・学級運営・生徒指導

等に書かれている書籍やネット記事の内容は、読んだからと言って、すぐに使えるものではありません。教育現場にとって、できるだけ暗黙知を明示化し、共有していく作業は今後、必要になってくると思います。また、暗黙知を身につけるための「研修を研究」していくこと(最近よく言われているのがOJTですね)も、我々教師の大事な仕事の一つであると言えるのではないでしょうか。

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